在宅介護の転落劇、マイナス感情が漏れ出した時
怪我や病気っていうのは、痛みや苦しみのためにマイナス感情が出てくるもの。今回の転倒でもそれが起こったわけで…。
目次
痛みとバストバンドの不快感
病院で出してもらったバストバンドで、肋軟骨の痛みはなくなったという。良かった…と思いきや、当然ながらの窮屈感。
全身の筋力が落ちていることもあって、バストバンドをすると動きにくくなるよう。
寝る、起きあがる、トイレに行く、食事をする、着替えるという、たったそれだけの日常行動に動きにくさが加わってイライラ不快感が募り始めたのは判った。
更にはバストバンドで背骨に痛みが出たと言い始め、肋軟骨の痛みの方がマシだ、外そうかとまで言い出した。
こうなってくるともう、日頃のストレスも相まってこちらも対応の限界が近づいてきたのが自分で判った。
会話の全てが爆弾になり、ついに引火
対応の限界が近づいているのも自分で判っていたので、出来るだけおかしな方向へ行かないように気を付けながら返事をするようにしていた。
元の性格もあって不平不満とマイナストークが炸裂しまくる義母に、こっちも少しずつ対応がツラくなってくる、そんな時
「胸と背中だけじゃなくて膝も痛いし、こんなんじゃ生きてるのも嫌になるわよ。だからって自殺もできないしねぇ」
とニヤニヤされた。きっと「もっと労われ」という事と、「そんなことないよ」という言葉を期待してのセリフだったのかも知れないと後で考えればわかる。でも、もう無理。
「休みになると寝てばかりいるんだから膝が痛いのは当たり前でしょ。起きて少し身体を動かさないと、痛みは酷くなるよ。」
たかがこれだけの言葉だったのに、小さな火花が散った瞬間だった。
考える前に言葉が出る義母
「休みの日だろうが、毎日新聞を隅々まで読んでいるのだから4時間以上は起きているに決まっている」という古い記憶と、思い込みと、近い記憶の欠如。
- 隅々まで読んでいるのだから、内容まで全部覚えてる!聞かれれば何でも答えられるから聞いてみなさいよ!
- 起きて新聞を読んでるか寝てるかを知ってるなんて、監視してるのか!気分悪い!
こんなことから始まって
- なんでこんな家に来ることになっちゃったのかしら。
- 他の息子達とも相談して決めていたら、こんな気分の悪い家に来ることなんかなかったのに。
- 他の息子の家ならこんな気分の悪い思いなんてしなくて済んだ。
- だから早く施設行きたいって言ってるのに。
最後には「ねぇ?施設へ行くには誰に相談すればいいのかしら?ねぇ?」とガチでニヤニヤした捨て台詞。
全部が気持ちよく否定できる言葉だらけなだけに、認知症症状なのか、昔からの脳みそ垂れ流しなのか判断しきれず。最後の言葉に私自身も静かにキレた。
お互いの全否定
- 誰も「義母をうちで」と言う人がいなかった。
- 兄達の家は居心地が悪いからと自分で「行くならうちが良い」と来たのも忘れたか。そもそも義兄が無理だとうちに連れてきたのに、なぜ行けると思うのか。
- ベッドの寝起きの際にきしむ音で気づくだけ。義母が来たことで私の居場所は居間しかないのだから、音に気付くのは仕方がない。
- それどころか、すぐに転びそうになったり、「助けて」と言われるんだから、音に敏感になるのは義母のため。それを「監視」と言われるなら、音が聞こえないように耳を塞いで、何が起きても放置しろってことか。
私への全否定に対し、本人が記憶をなくした部分に関しても指摘して全否定で返す私。お互いの全否定のぶつかり合いは、マイナスの感情を更に増幅させただけで終わることになる。
私自身が、静かにキレながら自分の限界をかみしめた瞬間だったと思う。