老健への入所、その時義母と私は?①

老健入所は決まったけれど、義母には何も話してなかったわけで…。さて、何て話そうか。どんな反応するんだろう。びくびくは止まらない。


ショートステイと老健の間の週末

週末だけ帰宅する長めショートステイを、2週間続けた週末。そのショートステイの間に相談員さんの本人面談があったことは、本人は認識しているかもしれない。でもそれが何だったのかまでは知らないかも知れない。

そのショートステイの間に老健入所が知らず知らずのうちに決定し、週明け月曜日には老健入所となる。そんな週末。

月曜日に送っていくのは私だけれど、私は家族ですらないことが多い立場。いつも通りの週末を過ごしながら、旦那が話してくれないかと思いながら過ごす時間はすごく長かった。子どもがいても話せないしな。

先月までは「なんでこんな家なんか…」「不愉快」「早く施設に入りたい」と叫んでいた義母だけど、長いショートステイでの生活で緩和してるのがわかる。ストレスがそうさせていたのもわかる、ってぐらい穏やかな時間が過ぎる。

「ホントあんたのご飯は美味しいねぇ、お料理上手ねぇ」

という言葉。睨んでいた子ども達への視線も、今は和らいで子ども達の動きを楽しんでいる様子。でもこれも、あくまで長くショートステイへ行っているからこその穏やかさなんだと自分に言い聞かせる。わかってはいるけど、心が痛むから。


子ども達が起きてこない朝、息子である旦那との会話で

なんにせよ準備をしなくてはいけない。購入しなくてはならないものがあるかも知れないので、本人には早めに話す必要がある。まだ子ども達が起きてこない土曜日の朝、食事が終わって新聞を読み始めようとした義母に旦那が話し始めた。

月曜日からはデイでもショートでもなく、老健へ行くことになったこと。老健はリハビリを目的とした施設で、生活機能低下が見える義母のために探したこと。

それらが、義母にはどう聞こえたんだろうか。「施設」という言葉から、「老人ホーム」のイメージを持ったのかも知れない。老人ホームじゃないと説明した直後には「いつまでなの?」と聞くけれど、しばらくすると「もう二度と帰ってこれないのね」と言い始める。

旦那がだんだんイライラしてくるのがわかる。

「なんでこんなことになっちゃったんだろう…😢」

と言った義母の言葉に、とうとう旦那があけすけな話をし始めた。義母が今まで子ども達にしてきたこと、それで子ども達に起きている健康障害、メンタル問題、私に対する暴言、脅し等々…。このままじゃ家族がダメになる。老い先短い親より、未来に責任を持たなきゃいけない家族を優先する、それだけだと言い放った。

そしてその際、もう義母が認知症であることも加えていた。


義母の認知症の理解、自分は認知症だと…

認知症にならないためにと、医者に言われた通りに毎日新聞を読んできた義母。新聞さえ読んでいればボケることはないと信じてきた義母。だからこその

「自分はまだボケてないと思ってたよ…」

今までも認知症予防になるよ~なんて色々話すたびに「新聞読んでるから大丈夫」と言われてきた。認知症専門病院へ診断してもらいに行った時だって「あたしはボケてなんかないし、ボケるわけないのに!なんでこんなところで待たされなきゃいけないのよ!」なんてキレたりしてた義母。

認知症だという現実を息子から突き付けられて、「迷惑かけて申し訳ない」「長生きなんてしなければ良かった」という言葉が、悲しくも心に響くことがないほどに私達の心を蝕んでいたことに気づいた瞬間でもあった。


老健入所直前の義母と、息子である旦那

「施設に入る」という事だけは忘れることなく覚えていた義母。いつもは覚えてない予定も、息子に言われた言葉で流石に完全に忘れるという事はなかったよう。

何度も、何度も

「もう二度と息子に会うことなく死ぬのね」
  「リハビリ施設だから、リハビリの状態とかで退所になるから」
「じゃぁ、いつ帰ってこられるの?」
  「リハビリの状態によってだよ。3か月ごとに審査するの」
「3か月で帰ってこられるの?」
  「違う。3か月ごとにリハビリの状態を確認するんだよ。それ次第」

入所前日から、何度この会話をしただろう。当日の朝は、最初の一言のところで泣き出したりもした。それでも心は動かなかった自分がいた。二度とわが家で受け入れる予定はないんだとは、もちろん言えなかった。

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